至高のブランドは継承できるのか?
志賀勝栄 × 吉村学
日本のパンの最先端を体現しつづけてきたシニフィアン・シニフィエ。
志賀勝栄氏監修の元、吉村学率いる株式会社小麦家がその運営を担う。
なぜ志賀氏は、自分の分身ともいえるブランドを吉村に託したのか?
その真意をはじめて明かす。
吉村学は2006年から○年まで、仕事の合間を縫って、岐阜の小麦家本社から東京のシニフィアン・シニフィエへと通い、技術を習得した。

__なぜシニフィアン・シニフィエで修業したいと思ったか?
吉村:もう圧倒的だったからです。
当時23ぐらいで、僕もそれなりに自分でパンを作れると思っていたとき、志賀シェフのパンを食べて、いかづちに打たれたような衝撃を受けました。シェフの頭の中を覗いてみたい、作ってる姿を見たい、同じ空間にいたい、同じ空気を吸いたい。
もうそんなことばっかり思ってましたよ。
学ぶとかではなく、とにかくぜんぶモノマネしたい。
会社に帰ってきて、うちの若い子たちにシェフっぽく伝えたり、シェフが読んでる本を買って読んでみたり。もう強烈に憧れました。
すごくワクワクしてて、寝ることを忘れてるんです。新幹線の中で寝て、小麦家に戻ってきたら、記憶が鮮明なうちに、シニフィアンでやった生地をぜんぶ作って、同じように焼いてみる。
自分の仕事もこなしながらです。そんなことをほぼ毎日やってましたね。

__吉村社長の当時の仕事ぶりは?
志賀:金曜日、自分の仕事を終えてから、夜9時にシニフィアンに来て、僕らといっしょに夜勤に入って、次の日僕たちは朝9時ぐらいに帰っちゃうけど、吉村さんは仕込みが終わるまで夕方5~6時までいて、それから会社に帰って、そのまま夜勤の仕事に入って。
よくがんばってるなと思いました。
僕も実は休みの日に、師匠の福田元吉(「ホテルパンの父」と呼ばれるパン職人)のところに6年間、24から30までずっと通ってたんです。
僕も吉村さんも似ているところがあります。
精神性が大事ですよね。そんな修業を何年もやれる人で、変な人はいないんです。
僕といっしょに仕事をして覚えた人は何人もいますけど、そうやって通い詰めて、僕から盗みながら独自なものを作れるように育った唯一の人じゃないですか。
最先端の仕事に正解は存在しない。
日々変わる気候や発酵状態に対応することが、至高の仕事には要求される。
吉村:最初の頃はよく正解を求めてたんですよね。
でもシェフは、やさしく笑いながら『教えない』って言うんです。
あれが、僕にとってはよかったですね。自分でめちゃくちゃ考えました。
たまにシェフが教えてくれそうなタイミングで、自分の出した答えを確認のつもりで訊いてみると『そうだよ』とか言ってくれるんで、そこで答え合わせをして。

志賀:予測して考えることをできるようにしないと、一生訊いてくることになっちゃう。
僕の修業した頃、師匠にそんなこと聞いたら『理由を聞いてくるな』って怒られるか、殴られるかで終わります。
数値を教えても、数値は変わるんですよ。日々変わるので。
自分で考えて、自分で結論を出せないとダメなんです。
世田谷から岐阜へ。
最先端の作り方だけに、場所が変わると、工程をすべて変えないと同じクオリティにはならない。
志賀勝栄氏は、それさえも完璧にやり遂げた。
志賀:シニフィアンで働いていた2人が来てくれることになったので、ベースはその人たちに教えました。
それだけではなく、仕込みや成形や焼きなど、小麦家にもともといたスタッフにも、僕の考え方を直接伝えることをずいぶんやりましたね。だって、機材も環境もぜんぶちがうので、シニフィアンの通りやっても駄目なんですよ。
持ってきたレシピで、そのまま通用したのはひとつもないです。ぜんぶやり直しました。
__志賀シェフから吉村社長が影響を受けたもっとも重要な教えは?
吉村:世の中の常識を疑うことをはじめて教えてもらいました。 なんで1日に1回みんな寝るの? とか、なんでごはん3回食べるのか? とかそんなレベルのこと まで」 いまあるパン常識をすべて疑う。 そして、仮説と実験を繰り返し、誰も作ったことのない至高のパンへと到達する。 シニフィアン・シニフィエの核心は吉村に受け継がれているのだ。
志賀:「吉村さんは基本的な考え方が、僕と似ている。 これで満足っていうことはないと思う。 そういう人だったらシニフィアンを預けられるなと思っています。 僕と全く同じ発想ではないかもしれませんけど、訊いてきてくれたらいつでも伝えるので、も う僕である必要はないのかなと思う。 まあ、僕の感覚からすると、シニフィアンなんかたかが20年です。 フランスのブランド、たとえばエルメスなんて200年以上なんで、そう考えるとまだ全然若いと思う。

__シニフィアン・シニフィエを継承するにあたって、吉村さんが決意していることは?
吉村:正直、最初は押し潰されそうなぐらいプレッシャーでした。
すごい兄弟子がいっぱいいるんで、『僕じゃないでしょう』と思ったこともあります。
でも、すごく光栄だし、本当にしっかり受け止めなきゃなと思って、決断しました。
よくみなさんがおっしゃる”志賀イズム”って目に見えないものですけど、そういうマインドや思想は絶対受け継いでいきたいなと思います。
それを、僕もそうですし、その次の世代に受け継げるように、がんばっていきたい。
シェフが最後に教えた若い子たちも運営スタッフも来てくれていますし、もちろん志賀シェフも監修に残ってくれているので、みんなの力を借りながらやっていきたいと思います。